Director 紀里谷和明氏インタビュー
-------------紀里谷さんがMUSIC VIDEOに本格的に挑んだのは”FINAL DISTANCE”が最初ですよね。”traveling””SAKURAドロップス”と3部作につながっていくわけですが、改めてこれらの作品を見て思うところはありますか?

紀里谷:あらためてよく見てみると「ここのところああすればよかったな」とか「ここのところダメだな」とか思うんですが、いま直そうと思っても手がつけられないというのはありますね。やっぱりその(制作していた)当時ちゃんとやっていたんだなと思います。特に”FINAL DISTANCE”は宇多田ヒカルと出会ってからのこの1年間の中で、彼女の中でもこの曲はアルバム『DEEP RIVER』につながっていく重要な曲だったわけで、僕としてもMUSIC VIDEOの監督として始めていくにあたって重要な曲であった。そう思うと感慨深いものがありますね。そしていま、まさに”Deep River”のVIDEOの制作をしている訳なんですが、僕は最初この”Deep River”を聴いた時に、”FINAL DISTANCE”を初めて聴いたときをすごく思い出したんですね。なんか、ぐるっと螺旋階段を回った違うレベルの新しい出発点だなって思って、それでまた違うことが想像できましたね。

-------------そこには進化があるんですよね。アーティストとしての進化ももちろんですし、MUSIC VIDEOとしての進化にもつながっていくわけですよね。

紀里谷:”FINAL DISTANCE”のVIDEOは今見るとたくさん荒削りなところやアマチュアっぽいところがあって、その不安定な感じが逆に面白いというのがあるんですけどね。それはHIKKIがこの楽曲で初めて本格的にアレンジ面にも手を加えてきたことにも似てる部分がありますよね。いまの”Deep River”ではもっとこなれてきたよね…それはいい悪いは別として。”FINAL DISTANCE”から”SAKURAドロップス”までの3部作でやっぱり毒が抜けたというか(笑)やりたかったことが全部外に出せちゃったというのがあって、だからこそ今回の作品”Deep River”っていうのは、すごくいままでにない感じで、ある意味すごく普通に、もっと自然に出ていくという感じがします。

-------------この『UH3+』収録の作品群を作り出す前の紀里谷さんの中にあった映像制作に対する思いはどんなものだったんですか?

紀里谷:映像にかかわらず、クリエーターはみんないろんなことを思いながら作っていっていると思うんですよ。いろんなイメージが頭の中にあって、それが具現化できるかできないかの違いですよね。だから一つはアーティストとの出会い、そして予算などの制作できる環境など、そういった機会と巡り会うこと。あとはそれを具現化できるのかという自分の技術的なものですよね。自分的には”FINAL DISTANCE”というのはちょうどいい時期に(話が)来てくれたというのがあって…….技術的にもだいぶわかってきたころだったし、「やりたい」ということが明快に思えてた時期だったので……そういう意味ではタイミングがすごくよかった。それとやっぱりそれまでの『宇多田ヒカル』を一回まったく違う光の下で見てみたいというのはすごくありましたね。多分”FINAL DISTANCE”の頃が、HIKKIがビジュアル面にも全面的に参加してきた時期だと思うんですが、僕としては初めてそこで本人と話しはじめて「あ、こういうものが好きだったのね」っていうのがわかって驚きだったんですよ。意外に自分と似たようなものが好きだし、暗いものやゴシック系とかも好きじゃん….と、非常に新鮮でしたよね。それであの時に楽曲ではアレンジに本格的に参加しはじめた訳だし、ビジュアル面にも自分がどういうものが好きなのかということを表に出し始めた。そのことが非常によかったですよね。なんか…それまでのビジュアルにはどっか優等生チックなところがあったので、正直最初腰が引けてたんですよ。でも、本人と宇多田社長と話してみて、「全然そっちの方向にいっちゃっていいのね」っていうところですごく勇気は出ましたね。だからすごい驚きだったし、それはファンの人たちにとっ ても当時みんな同じだったんじゃないのかな。だからこの1年を通して宇多田ヒカルといろんな形で打ち合わせやお話をしたりして、やっぱりあまり外に出ていなかった「屈折率」みたいな部分っていうのを投入できたと思います。

-------------この作品達を完成させられたのは、STAFFの存在も大きいですよね。

紀里谷:STAFFは奇跡的な確率で、いい巡りあわせが続いて、各セクションがやっぱりすごいです。だから僕はあくまでも監督という立場で偉そうに動かしているだけであって、本当に彼らSTAFFが動いてくれて完成していくもの。これは本当におせじとかではなくて、あのSTAFFがいなければ出来ていないし、いくら僕がビジョンを持っていても、彼らから提案してくれるものがなかったらここまで(の完成度に)はいってないことは断言します。

--------------そして”traveling”では紀里谷さんの本当にやりたいことがブレイクしましたよね。

紀里谷:いまになってすごく冷静に考えられるんですけども、あの曲とVIDEOはいろんなところからのサンプリングなんですよね。いわゆるPOP MUSICであるっていうものやPOP CULTUREであるっていうものは、いままで見てきたものを結集して作り上げている感じがすごくするじゃないですか。”traveling”でもどこかパロディの匂いがしてくるというか、最初聴いたときに「あ、すごくパロディっぽくて面白いな」という印象があって、それに対する映像版っていう考え方ですね。そこの軽い感じっていうのかな?それは”FINAL DISTANCE”とはまったく正反対のベクトルでHIKKIも(楽曲を)作っているし、それにあわせて僕も(映像を)作った。大変だったけれども”traveling”で正反対のPOPの極地みたいなところまで行ってよかったですよね。”FINAL DISTANCE”のまま、またヘビーな方向に行っていたら「もうどうなっていいの?」みたいになっちゃうでしょ(笑)。でも”traveling”はある意味今っぽかったですよね、いわゆるサンプリングカルチャーというか、いろんなところから持ってきて作っちゃうっていう、やっぱり「パロディ」ですね。それと「ジャパニーズポップ」というか「ジャパニーズキッチュ」みたいなものはすごく意識しましたね、やっぱり「アニメ」っていうところはすごく大きかったです。やっぱり日本人にしかわからないところもあのVIDEOにはあると思います。アメリカ人の子達に見せたりすると首かしげたりしますからね(笑)そういう意味では”SAKURAドロップス”や”FINAL DISTANCE”のほうが(外人には)受けがいいですよね。でもこういう”traveling”みたいなものが作りたかったんですよね。日本の人たちが見て面白いものということはすごく重要でしたね。

--------------この”traveling”から”SAKURAドロップス”につながる「楽園」というキーワードに対して、紀里谷さんが考える「楽園」とは?

紀里谷:最近いろいろ考えるんですけど、「なんでこう…世の中がねじ曲がっていくのかわからない」というのがいつも(僕が)言っていることで、例えば誰かがいいことをしようとするとすぐにそれを「偽善だ」という人が現れたりとか、「そんなことをしてもだめだよ」っていう意見がすぐに出てくる。例えば『楽園』があるとしてもそれを信じられない人がいっぱいいる。だから案外「『楽園』みたいなコンセプトは簡単に出来ることなんだ」というのが僕の持論で、案外簡単に手に入って、案外簡単に成立できるのに、やっぱり『人』がそれを許さない。なんの根拠があるわけではないけれども、それを許さないという人たちが非常に多いということをいつも痛感させられますよね。「どうせそんなの無理だよ」っていう言い方をしてネガティブな方向に行く人たちが本当に多いんだなとすごく思いましたね。それがすごく僕の中では、「そんなこと別にいいじゃん」というのがテーマ。別にみんながニュートラルにいさえすれば、すごく素晴らしい世界が来るんじゃないの?そういうことですよね。”SAKURAドロップス”に関してもまったくひねりもなにもないし、ただ単に「こういうのはどうかな?」という僕からの提案。だから人間もいないということなんだけれども、たしかに自然界は弱肉強食で厳しいんだけれど、だけどもう少しなんか正直な気がするというか、素直な気がするというかね。

--------------でも決してこの作品は世の中に対するアンチテーゼではないですよね

紀里谷:まったくその通りで、いまの社会では否定をする人があまりにも多すぎますよね、かといってその人達がなにをしているのかというとなにもしていないという人が多くて、例えば「世の中ダメだ」とか、「政治がダメだ」って言うんだけれども、じゃあそれに対してなにか新しいビジョンを提案できるのか?っていうとなにもしてないわけでしょ。それがおかしいなと僕は思う。だからなにかを否定するよりかは「僕はこう思うよ」っていうビジョンを単純に、正直に、否定されても出したいなってすごく思いますよね。そうすると、「かっこつけて」とか「あまいよ」とか「なにをきれい事を」みたいな話しになるんですけど(笑)。でもそれを見て「いいな」と思ってくれたりとか「なつかしいな」と思ってくれたりとか、そういった感想をもらうということは、みんなどこかで知っているんですよね、みんなそういったビジョンを持っていて、それが信じられたり、信じられなくなっちゃったりするんだなとそんな感じがすごいする。きっとみんなどこかでひとつで共有できるポイントがあると思うんですよ。そのポイントがあって、そこを出しちゃえば解釈の仕方は違ってもみんな共有できていく、最終的に残っていくものは同じなんじゃないかな?と思いますよね。

--------------そこからこの3部作のそれぞれのテーマ、コンセプトが出来上がっていったと

紀里谷:そうですね、”FINAL DISTANCE”,”traveling”では対のコントラストという部分がすごく多くてそのパラドックス、矛盾みたいなところがすごく僕の中で大きかったんだけど、やっぱり”SAKURAドロップス”に関してはそれがないですよね。一つの完成形というか、それに対しての答えのような、ま、僕の提案ですけどね。矛盾を使ったほうが表現しやすいんですよ。『STAR WARS』のように善と悪があってみたいにね。だからそういう意味では”SAKURAドロップス”はなんのテンションもないというか、単なるユートピアのビジョンを表現させるということで難しかったですよね。STAFFに関しては僕は本当に恵まれていて、そういったビジョンをもともとみんなわかっているんですよね。これは僕の持論ですが、作っている側も、見る人もみんな最初からわかっているんですよ、なにをしなければいけないのか、どうあらなければいけないのかということを。であれば、それをやるかやらないかの話しであって、やっぱり説明してみんなうなずいてくれるということは、そういうものが好きであるし、そういうものをどっか自分の中で持っているから共有してくれるわけですよ。僕は作る側と見る側が同じレベルで共有しあうということはすごい重要で「作る側が偉くて、見てる側が下」っていうやりかたは絶対にいやなんですね。「おまえらこんなのわかんねぇだろ」みたいなやり方はいやだし、逆に作り手が降りていって、下側から「これを見てくださいよ」っていうふうにしてやるのもいや。やっぱり同じレベルでみんながわかりあえるというものっていうのがすごく重要ですよね。そこを目指しているので、STAFFもやっぱり「人間として存在するからにはそれはわかるよ」ぐらいの言語で話すというか、作品としても「あなたもそう思わない?」というところで話しが進んでいくから「紀里谷がそう思っているからこうなんだよ」ていうことではなくて「俺はこう思っていて、こういうことをやりたい。君はどう思う?」と聞くと「僕はこう思う」ってところで話しが進んでいくからわかりやすいですよね。でもそこで問題が出たらやっぱり何かが間違っているんですよ。どこかが。やっぱりそこだと思う。だからいろんな人が見てもやっぱり、どこかわかってくれるところがあるんじゃないですかね。それはもちろん賛否両論あるとは思いますけれどもね。あと、やっぱりSTAFFが感動してくれないといいものできないですよ。作る側が感動して作ってないとだめだと思う。また、これも恵まれているところなんだけれど、非常にいろんな人が見てくれるというところがあって、この1年宇多田ヒカルと仕事をして勉強になったなって思うのは「伝わるんだな」ということがすごい収穫ですね。「わかってもらえない」とか言う人いるけれど、それは嘘だと思う。それはやっぱりその人の考え方が足りないんだと思う。「一生懸命考えて一生懸命誠実に作るものは、伝わっていくんだな」っていうのは素晴らしいと思いますよ。そういう意味では僕は見る側の人たちも信頼してますけどね。

--------------だからこそ冒険ができる

紀里谷:うん。それを逆にやらないといけないと思うし、みんなそのへんを待っているしね。すれちゃいけないと(笑)。でも(HIKKIと)似てますよね、HIKKIの曲を聴いてて思うんだけど、その生みの苦しみのプロセスが、この前インターネットのインタビューを読んでいても思ったんだけど「ものを作ることが重要」っていうところで似てる。「矛盾」という言葉にしても、やっぱり本人を見ていて思いましたね、彼女もそういうパラドックスを抱えているじゃないですか。そこがね、重要ですね。「痛み」を抱えているんだけど、それが「喜び」を生み出すみたいな、そんな人間っぽい感じがいいですよね。

--------------“SAKURAドロップス”は最初のコンセプトから打ち合わせを経て、だいぶかわってきましたよね。

紀里谷:最初聴いたときには、もっと日本的なものでやろうというのがあったんだけれども、でもいまの感じのほうが数段いいと思いますね。やっぱりディスカッションを経て、自分の中でも凝り固まるところがあるので、そこをほぐしつつもう一回考え直して…..そこで初めてやっとフラットなものを作るっていうことへの挑戦でしたね。やっぱりどこかエモーショナルな亀裂であったり矛盾というテーマで作品を作った方が、やっぱりテンションがあるから面白いんですよね。でもそうではなくて、まったくフラットなものの見方でこの作品をひとつ作るということを初めてやったと思いますね。変な言い方だけど「現世」と「あの世」っていうその境界線みたいなところが非常に僕の中で重要だったんですね。この境界線のところにいたら人は幸せなのかな?っていうね。だから「あの世」というビジョンと、「でもこっちにもいける」っていう、なんか時空を越える感じっていうんですかね、そこに幸せがあるんじゃないかということをすごく思いました。生きているということはなにかが欠落しているわけですよね、何かが足りないということを背負いつつ生きていくわけで、やっぱりそれが完璧に満たされていくというか、ひとつの完璧なものになるというのは僕は死ぬときだと思っているから、そのときのビジョンというものを見ながら生きていくことになにか答えがあるんじゃないかなというのはちょっと思いますよね。

--------------そして急遽撮影されることになった“Deep River”のコンセプトを教えていただけますか?

紀里谷:やっぱりね、最初に聴いた時にすんごい好きだったんですね。僕アルバムの中であの曲が一番好きなんですね。歌詞が素晴らしいです。本当にあれが次のレベルですよ。だから最初の話しに戻っちゃいますが、そういう意味ですごく”FINAL DISTANCE”の時の違うレベルに行った感じの、また次作の予告編みたいなニュアンスに見えて。で、もう1回フラットなものを作ろうと思いましたね、さっきも言ったようにフラットなものを作るのはすごく難しいんですよ。で、「人の営みってなんだろうな?」って思って、それで単純に美しいものだったり美しいこと……ということはまた「楽園」がテーマになっているんですけど……それをもうCGとかそういうもの関係なしで、今度は本当にそれを「人と人」でやったらどうなるの?っていうところですね。だからまったくいままでのものとは全然違うし…ある意味すごく普通のものだと思う。僕の中ではそれはすごく新しい試みではあるんだけど(笑)。僕は案外「普通である」ってことがすごくいままで怖かったんですよね。ずっと「普通である」ってことがいいことだって思えなかった。でもやっとなんか「普通であるってことがすごくいいことなんだな」っていうことをこの歳になって初めてやっとわかり始めたっていうか(笑)それは宇多田ヒカルとの出会いはすごく大きかったですよ。いままではそこまで自分に力がなかったんだと思うんですね。やっぱり、そういう普通なことでなにかをしていくっていうのは非常に難しい。そこで今度は、テクニックやCGが介在しているところをとっぱらっちゃったらどうなるのかっていうトライですよね。いわゆるデザインの要素やビジュアルの要素をとっぱらったところで、いろんなものを削ぎ落としてなにができるのか?ってところですよね。でも本当に曲がいいからね。まさにいま組み立てている最中ですけれども。

--------------最後に、この「UH3+」を見るファンに対してメッセージを

紀里谷:今回のDVD化のお話をいただいたことはすごくありがたいことで、やっぱり、メイキングを見て「こういう人生もあるのかな」ということを、「物作りっていいですよ」ということをわかってもらえたら、すごく嬉しいなって思う。よく「紀里谷の作品」っていうふうに言われるけど、実際そうではなくて、本当にSTAFFみんなでつくり上げていくものなんだということをわかってもらえれば、嬉しいですよね。別に監督が一人で全部考えて、一人で全部作っているわけではない。この作品にかかわっている人たちがみんな幸せになって、幸せに物を作っているという姿を見てもらって、そして感じてもらえたらもしかしたら作品を評価してもらうということ以上に嬉しいかも。音楽もそうだけど、やっぱり物を作るということはすごく最高なことだということを僕は言いたい。すごく幸せになれることだっていうことを。出会いも大切だし、人とかかわっていって、勇気を出してやりたいことをやるという素晴らしさがわかってもらえたらいいなあって思いますよね。