宇多田ヒカル
小袋成彬
酒井一途
座談会

Section 1

「真実の追求が根底にあってね。ただただ綺麗で整ってたら、真実じゃない」

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「真実の追求が根底にあってね。ただただ綺麗で整ってたら、真実じゃない」

小袋:今回、宇多田さんのアルバムに参加したのよ。「Too Proud( featuring Jevon)」にはアレンジで参加して、「パクチーの唄」には作曲で入っててね。この二曲は遊び心がある楽曲でさ。たとえば、「Too Proud」の「見て思い出す動物園の動物(ど・うぶつ)」、という言葉の使い方、俺には違和感でしかないわけよ。えっ、って思うわけ。

宇多田:でもそれが狙いだよ。

小袋:わかってるわかってる。「パクチーの唄」の「ぱくぱくパクチー」もそうでしょ(笑)でも俺はまずこんな歌詞は書かないし、書けないし。これはどういうことなんだろうって、一途とこの前話したんだよ。パレスホテルの噴水を見ながら、話したの。
 でね、もはやこれは「日本語自体が美しい」というよりも、「宇多田さんの、日本語の捉え方が美しい」ということなんじゃないか、って話になったんだよ。なんでそんな話になったんだっけ?

酒井:ヒカルさんは、幼い頃から英語と日本語の混じった環境で育ってきているから、日本語という言語そのものの捉え方が、日本語だけの環境下で育ってきた人たちとは、ちょっと違っている。日本語という言語に、また別の見方や光の当て方を持ってる。だからこそ、そこに一つの、異なる美の基準を作り出して、新しい美を見いだすことができるんじゃないか、って。そこから今、おぶが言ったような話に繋がったんだ。

宇多田:自由だよ、私。日本語に対する距離感の取り方。

小袋:独特。うまくは言語化できないんだけど、どういうことかはハッキリ言えて、日本語の捉え方そのものが美しい。それは直観的なものでもあって、「動物園の動物(ど・うぶつ)」って、話者としては違和感があるにも関わらず、いいんだよ。

宇多田:タブーがいっぱいあるんじゃない?

小袋:そうだと思う。こうしちゃいけないっていう、無意識下でのタブーがあるのかもしれない。そういうものがなく、何もバイアスを介さないで、ただそれを見て「動物園の動物」って言えるのが、意外にキャッチーで、いい感じの違和感もあっていいじゃん、と。そういう視点があるのか、と思った。

宇多田:言語のモラルがあるんだろうね。日本語という言語における、言語認識のタブーとか社会的モラル。日本語を習ってる時点で、一緒にそれも習ってるから。
 私はデビューの時から言われてることなんだけど、最初に「Automatic」っていう歌が注目された時に、「日本語の使い方に特徴がある」とよく言われて、本当に意味が理解できなかったの。「七回目のベルで(な・なかいめの/べ・るで)」って、言葉の途中の一瞬に間が空くことへの評論があって、「?? だって音楽じゃん? 言葉?」ってなった。
 音節、という捉え方をしてるのかもね。オペラだって、言葉を音節としてメロディーにはめ込んでいくから、すごく無理やりな歌い方をするじゃない。楽器だったら音符って捉え方をするから、ここまでが一言とかないじゃん。そういう感覚なのよ。言葉に対して、ここが良い切れ目とか、ここが切っちゃいけないとか、ないもん。

酒井:ヒカルさんの今の話を聞いてて思ったのは、第一言語が音楽なんだろうな、って。

宇多田:あっ! そうそう! そんな感じ!

酒井:音楽を日本語に翻訳する、という作業が、作詞する時に発生してくるわけだよね。だからこそ、第一言語が日本語の僕らがもってる、日本語ひとつひとつの言葉に対するイメージを更新することができるんだろうね。

宇多田:家庭環境があるのかな。音楽やってる人の家系から来てるから。

小袋:抗えないものとしてある。

宇多田:うちの中でトラブルが起きて、みんな話をしない、気まずすぎたり怖すぎて、誰も何も言えない状況だったのが、気がついたら誰かがギター弾いて、誰かが歌いだして、私がピアノ弾いて。で、いつの間にか日常に戻るの。この気まずさはいつまで続くんだろう、どうなっちゃうんだろう、また離婚するのかな、って思っていても、いつの間にか音楽が始まって、「お腹すいたね、なに食べる?」って日常に戻るの。音楽がなかったら、成立しない日常だった。
 本来なら、モラルは社会とか家庭環境から学ぶものなんだなって後から気づいたんだよ。私にはモラルがないというのを、自分ですごく感じてる。生き方や、人としての選択にしてもそう。これはやっちゃダメなことっていうのはあるよ。人を殺しちゃいけないとかね。そういう道徳心はある。でも、社会から学んでないの。自分が一人の人間として、気持ちいいか気持ちよくないかで決めてる。人を殺したくないのは、だって自分が嫌な気持ちになるじゃん、ってそういう基準しかないのよ。しちゃいけないと言われたからとか、逮捕されるから、とかではなく、あらゆることが「自分がしたくないから、しない」。したいと思ったことはしちゃう。音楽も言葉もぜんぶ、社会性があるものとは別のところで、私は触れてきたんだ。

小袋:「宇多田さんの日本語の捉え方の美しさ」について、一途が茶道の器になぞらえて、この前話してくれたんだよ。その話してもらっていい?

酒井:柳宗悦という作家が、「茶器を目の前にして、美しいも醜いもない境地がある」というようなことを書いているの。人間は、物を見たときに、「美しい」か「醜い」かの二元論で考えてしまいがちだけれど、「美しい」の裏側に「醜い」がない、「美しい」の一元論しかない物の見方があって、そういう目を見いだしたことが、茶道を始めた創成期の茶人たちであった、と。彼らは、茶器のなかに裏表のない「美」のみを見いだした。新しい美の基準を、そこに作り出した。

小袋:今までは誰も見向きもしなかったものに、茶人たちが何のバイアスもなくそのものを見て、美しさを見いだし始めた、ということだよね。たとえば、焼きあがったものに変なゴテがついた器が出てきたとするじゃない。それまでは見た人に「醜いな」と思われていたけど、変なゴテが含まれたそれ自体を「美しい」と思い感じることが茶の心だと。そうして茶道を創始した茶人たちがいて、それに近いものを宇多田さんの作詞に感じたっていう話。

酒井:ヒカルさんの、日本語という言葉の捉え方に、ね。

宇多田:ああ、わかるかも。いびつなもの、ね。やっぱり真実の追求が根底にあってね。ただただ綺麗で整ってたら、真実じゃない。嘘をはらんでるようだし、面白いとも思わない。だから真っすぐ綺麗なだけの幾何学的なコップがあったとしても、「で?」ってなるよ。誰でも綺麗に作れるでしょ、と思っちゃうから、なんにも響かない。
 違和感を作ることを、私は音楽でも歌詞でも、大事にしてる。そこがポップな要素と思ってる。一定の流れがあると、それを維持するのに、また嘘が出てくるでしょ。音楽は時間軸のある作品だから、五分間の中で言葉の選び方にしても、コード展開にしても、感情の表現にしても、ずっと一定だったらそれは嘘じゃん。最初は本当かもしれないけど、どこかからは維持するための嘘になっちゃう。あえてそうならないように、ここだなと思うところに違和感を置くと、ぶれが生じて、完全な音楽、存在するに価する自然なものになる。その違和感が、魅力だと思って作ってる。聴く人が「えっ」って思って、聴き流せないポイントを要所要所に作る。
 「えっ」って思った瞬間、人間は無防備になるじゃない。その瞬間がいちばんニュートラルで、変な考えも何もないふわふわした状態になれるときのはずだから。そのふわっとした感じを聴き手のなかに作れれば、心にすっと入っていけるのかなと思って、意識的にやってるところはあるよ。

小袋:物のセンスもそうだよね。ちょっと変なの好きだよね。

宇多田:そうそう(笑)えっ、それ使うの? みたいなのが、自分でも似合うと思う(笑)」

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宇多田ヒカル/初恋

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